7月のお話|外国人力士の日

2014/07/25
カテゴリー: コラム・その他

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頂いております、WWGの松田です。こんにちは。

 

今月のお話・・・
7月16日 外国人力士の日

 

梅雨もあけ、暑い日差しがまぶしい季節になりましたね
いよいよ海びらきも目前にせまり、海山の恋しい毎日です。

そして
この時期の定番といえば、先日開幕した、自社のある名古屋で
毎年開催される「名古屋場所」

今年も7/13~7/27の期間で開催されております。

 

その開催期間中の7月16日は、
なんと「外国人力士の日」なんだそう。

とういことで、今月は「外国人力士の日」についてお話したいと思います。

 

皆様 、元大相撲力士「高見山」ご存知でしょうか?

今から42年ほど前の、昭和47年の7月16日
大相撲大相撲で当時東前頭4枚目の高見山が、
外国人力士としてはじめて幕内最高優勝を達成しました。

そのことから、7月16日に「外国人力士の日」が制定されました。

これにより、現在は「外国出身力士は1部屋1人」と定められ、既に外国出身力士が
在籍している部屋には新たな外国の方が入門ができなくなったのです。

 

ただ、日本の相撲界は人気が高く、入りたい外国人が大勢いますので、日本の高校や
大学を経て入門する力士もではじめました。
枠の空きを待つ状態になっているんですね。

 

外国人力士の活躍をみると、1972年(昭和47)7月16日、大相撲七月場所にて
東前頭4枚目の高見山大五郎(高砂部屋,当時の本名Jesse James)が外国人力士として
初めて幕内最高優勝を遂げました。
高見山(現・東関親方)は翌場所、外国人力士として初の関脇の地位も昇進しています。

 

高見山は1944年6月16日マウイ島の生れ。
アメフトのラインマンとして高校時代は活躍していましたが、事故にあってアメフトが出来
なくなり、その後ハワイの相撲クラブに入って当地で相撲をやっていました。
そこを巡業で訪れた高砂親方(元・横綱/前田山)に見い出され熱心な勧誘を受けて来日を
決意したとの事です。高砂親方は高見山の優勝を見ることなく57歳の若さで他界されています。

 

今でこそ巨体は有利と言われますが、当時は「高見山は背はあるが、腰も高い」などといわれ、
その体は不安定であるとみなされていました。
言葉も不自由する中、親方も英語はよく分からないので最初の頃は何を尋ねても「Push Push」
とばかり言われていたなどというエピソードを語っています。

 

記録保持者でもある高見山。
通算出場で第三位(1位/大潮・2位/寺尾)、連続出場で第四位という記録をもっています。
この要因は意外にも相撲入り前に事故で痛めた下半身であるとも言われています。
下半身に弱いものがあるため土俵際に押し込まれたり投げの打ち合いになった時にあまり無理する
ことができず、結果的に怪我をあまりせずに済んでいたとのです。

激しい取っ組み合いが魅力の大相撲ではありますが、頑張りと危険行為は紙一重なんですね・・・。

 

最後に、
高見山(最高位・関脇)がいたから、小錦は大関になれ、小錦がいたから曙は横綱になれた、
と言われます。

相撲界は保守的な日本の中でも最も保守的な世界のひとつ。

その中で様々な壁や差別、偏見や厳しい扱いを乗り越えていった外国人力士の方々。
中でも最初にこの世界に入ってきた高見山はすごいなぁと思いました。

少し、相撲の奥深さが垣間見えた気がします。

 

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